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「私の人生にバックギアはない」震災を乗り越えて、“その先” へ歩む

2020.05.21

時代の先を読んで営農
現在では大規模酪農家に

阿蘇外輪山の一角をなす俵山。その麓にある西原村は、広大な原野と山林が広がる自然豊かな村だ。年間を通して俵山から風が吹き下ろし、初夏には新緑の草原を渡った薫風(くんぷう)を全身に浴びることができる気持ちのよいエリア。のどかな村のイメージからは想像し難いが、熊本地震で震度6弱の前震と震度7の本震という2度の大きな揺れを観測し、甚大な被害を受けた場所でもある。

俵山の中腹に九州最大級の風力発電施設があり、風が吹き抜ける場所であることが分かる。

山田政晴さんがこの地で本格的に酪農を始めたのは昭和51年(1976年)のこと。ホルスタイン種40頭でのスタートだった。営農するにあたって念頭に置いたのは「時代の先を読んだ酪農」。トウモロコシを主体とした自家栽培の飼料を牛に与え、排出される糞尿は堆肥に。それを肥料にまた飼料を育てて…と、当時は珍しかった循環型農業に取り組んできた。平成6年(1994年)には牛舎を牛が自由に動き回れる「フリーストール式」に改築。ストレスフリーな飼育形態を目指した。さらに、6次化産業にもいち早く目をつけ、ソフトクリームをはじめとする自社牛乳を用いたスイーツの製造・販売、レストラン経営も行ってきた。同時に酪農の規模も徐々に拡大し、現在では成牛130頭、子牛70頭を飼育する大規模酪農家となった。

(上)日に焼けた肌と、力強いゴツゴツとした手が印象的な山田さん。
(下)山田さんは「良質な牛乳を生産するためには、牛のごはんも良質でなければ」と考えている。そのため、厳選したトウモロコシや青刈りした稲、干し草を中心とした自家製飼料と南阿蘇の天然水にこだわっており、飼料の自給率は5割を超えている。

一般的に流通している牛乳は、120度以上で2~3秒加熱する高温殺菌を行い、品質保持を目的とした均質化処理を施してあるものがほとんどだ。一方で、『山田牧場』の牛乳は低温殺菌で均質化処理を行わない。均質化処理をしなければ消費期限が短くなるため、儲けや効率を求める生産者であれば選択できないだろう。それでも山田さんがこの方法にこだわるのは、「搾りたての味をなるべくそのままで消費者に届けたい」という思いから。飼料作りから徹底した牛乳は、山田さんの自慢の一品だ。ソフトクリームも同様で、鮮度を落とすことなく消費者に届けるために、その日の朝に搾った乳をすぐさま加工に回す。「“おいしい”と言ってもらえるものを作りたいんです」。そう話す山田さんの笑顔に、人の心を動かす食べものには作り手の誇りがあることを知る。

阿蘇の伏流水を飲んで育った『山田牧場』の牛の乳。900mlで600円台と割高に感じるが、飲めばその価値が分かる。

山田牧場直営の『ミルクの里』では牛乳やソフトクリーム、ジェラート、バター、チーズなどの自社製品を販売している。
1滴も加水せずに作る「100%牛乳ソフトクリーム」は牛乳本来の濃厚なコクと控えめな甘さ、さっぱりとした後味が特徴。

牛舎が倒壊し、道路は寸断
それでも、牛は生きている!

熊本地震の本震が発生した当時、自宅にいた山田さんは大きな揺れに驚いて裸足で屋外に飛び出した。暗闇を見渡すが被害の状況は把握できず、足下に落ちている屋根瓦だけがぼんやりと見えた。家族で近くのゲートボール場に避難すると、西阿蘇酪農業協同組合長を務める山田さんの元に、組合員の牛舎が倒壊しているとの情報が届き始めた。現場応援に行こうにも道路が寸断されてたどり着けない。自分の牛舎の様子すらも見に行けないのだ。山田さんは当時を振り返って「夜が明けるのが怖かった」とつぶやく。『山田牧場』の牛舎は7棟のうち4棟が倒壊、牛5頭が犠牲になっていた。

牛舎から見下ろせる大切畑ダムも大きな被害を受けた。(写真は地震直後の様子)

自宅は大規模半壊、店舗の床にも亀裂が入った。『ミルクの里』前の熊本高森線(県道28号線)は全線復旧まで約3年半かかった。(写真は地震直後の様子)

地震後、山田さんは避難所と牛舎の往復を続けた。水道管は破裂し、送電は停止。避難所からの道のりも困難だ。それでも牛は生きているし、お腹をすかせ、喉も乾く。乳を搾ってやらなければ乳房炎を起こす。諦めろとの声もあったが、山田さんの胸には「牛舎には100以上の命がある。見殺しになどできない」という酪農に対する強い意志があった。借りた発電機で搾乳機を動かし、ショベルカーのバケットで川の水を何度もすくっては牛舎へと運んだ。だが集乳車が来ないため、搾った乳は出荷できない。思いを込めて生産した牛乳を廃棄せざるを得ない苦しみ。組合員の中には廃業を口にする者も多かった。

「地元の生活に欠かせない大切畑ダムの決壊や道路の寸断などへの不安はありました。でも、牛は生きている。だから世話を続けました」と山田さん。

未来を決めるカギは
困難に直面した際の動き方

顔を曇らせて相談に来る仲間たちに、山田さんは組合長としてこう話した。「ここでやめてどうする? 酪農をずっと続けてきたんだ。一緒にもうひと頑張りしよう」。加えて、「トンボになったつもりで10年やってみよう。竿の先でじっと止まって3年、明かりが見えたら低空飛行を始めて、あとは前に進むだけ。進み続ければ風に乗って上昇できるはず」とも。自身にも不安はあったが組合員と励まし合いながら前進を続け、4年が経った。倒壊した牛舎は国の補助金などを活用して再建。先頭に立って営業を再開した『ミルクの里』には、「このソフトクリームをまた食べたかった」「相変わらずおいしい」との声が届いた。

新しい牛舎の壁には、山田さんの子どもが描いた牛のイラストが。ショベルカーの中に見える人物は山田さん?

熊本地震直後からノンストップで歩み続ける山田さんが目指しているのは「元どおりのその先」だという。地震前よりも良質な飼料、もっとおいしい牛乳、営農規模の拡大…。「一度バックを始めたら、下がるしか道はない。困難に直面してどう方向転換するかが未来を決めます。だから、前に進むのです」。山田さんは「私の人生にバックギアはありません!」と笑顔で言葉を結んだ。

日本の酪農家は減少傾向にある。担い手の育成の一助になればと、搾乳体験や農業実習生の受け入れも積極的に行っている。

山田さんちの牧場 ミルクの里
DATA

山田さんちの牧場 ミルクの里

  • [住所]所在地・熊本県阿蘇郡西原村小森1801-3
  • [電話番号]096-279-2720
  • [営業時間]10:00~17:30
  • [定休日]なし
  • [URL]http://yamada-milk.com/