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「熊本ゆかりの人物」編

診断1よく読む本はどっちかモン?

  • A

    実用書

  • B

    小説

どちらかを選ぶモン★

診断2どっちが大事だモン?

  • A

    忠誠心

  • B

    マイペースを貫く

迷うモ~ン★

診断2どちらかというと・・・?

  • A

    芸術肌

  • B

    頭脳派

迷うモ~ン★

診断3やってみたいのは?

  • A

    築城

  • B

    茶道

ボクならこっちだモン★

診断3嗜むなら?

  • A

    書や水墨画

  • B

    俳句

ボクならこっちだモン★

診断3自分って・・・?

  • A

    柔軟性あり

  • B

    熱くて頑固

ボクならこっちだモン★

診断結果

あなたは・・・
加藤清正タイプ

加藤清正イラスト

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あなたは・・・
細川忠興タイプ

細川忠興イラスト

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あなたは・・・
宮本武蔵タイプ

宮本武蔵イラスト

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あなたは・・・
夏目漱石タイプ

夏目漱石イラスト

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あなたは・・・
横井小楠タイプ

横井小楠イラスト

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あなたは・・・
矢嶋楫子タイプ

矢嶋楫子イラスト

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友達も誘ってやってみるモン★

加藤清正
タイプは・・・

加藤清正イラスト

熊本城を築城したことで有名な加藤清正。関ヶ原の戦いの功績で、肥後一国54万石を与えられ、肥後藩主となりました。そんな加藤清正は、築城や土木工事に力をいれ、自ら進んで国おこしに尽力してきた人物です。戦場では常に前線に立ち、勇敢に、そして現実的に物事を考える性格でした。

熊本城

熊本城

熊本市の中心部にそびえ立つ熊本城。日本の三大名城のひとつとして、熊本のみならず全国に人気のお城です。平成28年熊本地震により石垣が崩れるなどの被害にあいましたが、現在修復作業が進められ、熊本の復興のシンボルとなっています。天守閣や櫓などには立ち入ることができませんが、外観を見ることはできます。

熊本市中央区本丸1-1
>>熊本城


細川忠興
タイプは・・・

細川忠興イラスト

加藤清正の後に肥後藩を治めた細川忠利の父である細川忠興。文化人として和歌や茶など芸術を嗜みました。千利休の茶の湯を受け継ぎ、肥後象がんや八代焼の発展にも貢献。そんな細川忠興は、一本気な頼もしい人物でした。千利休が切腹を命じられた際には、周りがお見舞いに行くのをためらった中、忠興はすぐに駆けつける場面もあり、人情を重んじていました。

立田自然公園

立田自然公園

細川忠興が眠る、細川家の菩提寺泰勝(たいしょう)寺跡。茶道に長けていたといわれた細川忠興の原図で復元された茶室「仰松軒(こうしょうけん)」があり、ここにある手水鉢(ちょうずばち)は、忠興の愛用品で豊臣秀吉や千利休も使用したと伝えられています。平成28年9月1日時点では、熊本地震の被害により一部立ち入りできません。

熊本市中央区黒髪4-610
>>立田自然公園


宮本武蔵
タイプは・・・

宮本武蔵イラスト

宮本武蔵は57歳(寛永17年)の頃、細川忠利の招きを受けて来熊し、正保2年5月に亡くなるまでの5年間を熊本で過ごしました。この間、二天一流の名で知られる兵法(武術)だけでなく、絵画、著述などの芸術、文事面でも独自の優れた仕事を残します。「我事において後悔せず」「佛神は貴し佛神をたのまず」など『独行道』の条々からもうかがえるように並外れた厳しい生死観を磨きに磨いて困難な戦国末期を生きた武人、哲人といえましょう。

霊巌洞

霊巌洞

武蔵が武士道に通じる禅の修業を行ったとされる寺。ここで、地、水、火、風、空の5巻からなる兵法書「五輪書」を書いたといわれています。

熊本市西区松尾町平山589(雲巌禅寺内)


夏目漱石
タイプは・・・

夏目漱石イラスト

小説家であり英文学者でもあった夏目漱石は、第五高等学校(現熊本大学)の教授として熊本に住んでいました。後に、「草枕」や「二百十日」を執筆。熊本時代の実体験をもとに書かれた小説です。優秀な弟子を多く輩出しており、物理学者・随筆家として有名な寺田寅彦は五高での教え子でした。

小天温泉

前田家別邸

玉名市にある、小説「草枕」の舞台で小天(おあま)温泉のひとつであった前田家別邸。現在は離れの一部屋と浴場が残されており、小説の場面をうかがうことができます。

玉名市天水町小天735-1
>>前田家別邸


横井小楠
タイプは・・・

横井小楠イラスト

横井小楠は1809年に熊本城下内坪井町で誕生。子どもの頃から負けず嫌いで、特に弁論で敵うものはいなかったといわれています。勉学に勤しみ頭の回転が速かった小楠は、その聡明さが認められて31歳から江戸で遊学。その後、坂本龍馬、西郷隆盛と共に世の中を変える取り組みに尽力しました。

横井小楠記念館

横井小楠記念館(四時軒

横井小楠の家塾跡で、多くの門弟を養成した。坂本竜馬や「大日本帝国憲法」の草案を作った井上穀(いのうえこわし)らも訪れて、熱い議論を交わしたとされている。記念館には、小楠に関する資料とともに吉田松陰や西郷隆盛などの書も展示されている。平成28年9月1日時点では、熊本地震の被害により閉館中。

熊本市東区沼山津1-25-91
>>横井小楠記念館(四時軒)


矢嶋楫子
タイプは・・・

矢嶋楫子イラスト

近代日本において、女性解放運動に一役担った熊本県益城町出身の女性。上京後、教員免許を取得、「女子学院」の初代院長を務めました。女性は経済的自立が必要という考えを、教育を通して広く生徒たちに教え、当時では珍しい校則のない学校を作ったことで有名。熱く目標に向かう姿は猛婦とよばれるほどでしたが、素顔は穏やかだったといわれています。

矢嶋家跡

矢嶋家跡(徳富蘇峰先生誕生地碑)

熊本空港から約5分のところに建てられた記念館には、矢嶋家や四賢婦人に関する古文書や生活用品が展示してある。平成28年9月1日時点では、熊本地震の被害により閉館中。
※矢嶋楫子は徳富蘇峰の叔母に当たる

上益城郡益城町上陳455
>>四賢婦人記念館